お品書き〜全銘柄

あかがね三種

「あかがね」とは、銅の日本古来の呼名でございます。

銅は、比較的我々の生活の中で身近に存在しており、 また、金・銀・プラチナと比べて、その価値が低く見られております。
そのような「銅」を主役にして飾り物を創れない物か。その思いで創作したものが「あかがね」でございます。銅と銀を組み合わせる事で、色の対比を楽しめる要にいたしました。

銅は、他の金属と比べると、早くから変色を起こします。 紅く輝く今の姿もさることながら、茶色く鈍く輝くその色も、味わい深く、また良い物であります。

  • 緑青について
    緑青とは、銅の錆の事であります。昔より、「緑青は猛毒」と言われており、銅のアクセサリを着けるに当たって、心配される方もいらっしゃると思います。
    しかし、近年、専門機関の調査により、緑青自体には毒性が無いことが明らかになっておりますので、ご安心ください。(ただし、金属アレルギーの事とは別ですので、ご注意ください。)
    なお、詳しくはこちらのサイトをご覧ください。
    銅のおはなし:http://www2.ginzado.ne.jp/shayo/dou/dou.htm
    日本伸銅協会 メタル「銅」 銅と健康:http://www.copper-brass.gr.jp/03/03-03.htm

 

千代

現代のようにプリンターが無い時代にも関わらず、
日本にはとても美しく、様々な柄・模様が写された和紙が在ります。
千代紙、友禅和紙といった物です。
今まで、人形や本の表紙などに使われていたのですが、ならば、飾り物にも必ず合うはずと考えました。

また、銀をいぶし、あえて艶消し仕上げを施すことで、
千代紙の様々な柄を生かし、奥ゆかしさを併せ持つ、とても日本的な飾り物にいたしました。
埋め込んだ千代紙は、接着後アクリル樹脂で固めてありますので、
多少水がかかった程度では、品質的には全く問題ございません。

こちらの飾り物は、千代紙を以下からお選び頂けます。
ご注文の際には、飾り物と中の千代紙の種類を必ずご指定くださいませ。

 

 

舞う花

風に舞う美しい花々。
その姿を飾り物に納め、身に付けることによって、心に潤いを、そのような思いから創作致しました。
花の儚さ、美しさを出すために、発色の良い高級ベネチア硝子を使用しております。
全体を色の付いた透明硝子、そして、風に舞う花びらを同色の不透明硝子にて表現しております。
花は美しさの基本であると考えております。

今後も、四季折々の様々な美しい花を「舞う花」のひとつに取り入れて、皆様にご提案していきたいと考えております

こちらの作品は、全て一点ごとの手作りでございます。
よって、なるべく同様に仕上げるよう努力はしておりますが、
大きさ・厚み、また模様は全く同じとはなりませんので予めご了承ください。

ベネチアガラス

ベネチアガラスの起源

ベネチアでつくられたガラスについて の記述は西暦982年の記録にありますが、実はそれ以前のことは謎に包まれています。伝承によると、北アドリア海沿岸に住んでいたヴェネティ族が西ローマ 帝国崩壊後、6〜7世紀に、蛮族から逃れるため、ベネチア諸島に移住したのが起源とも。イスラム世界とヨーロッパ世界との接点にある地理的な理由もあった のでしょう、対岸のアドリア海からガラス職人が移り住み、ベネチアでガラス技法を伝えたそうです。すでに彼らは古代ローマ時代より高い水準のガラス工芸の 技を持っており、それをこの地にもたらしたのが、ベネチアガラスのはじまりとなったのではないかと考えられています。

「飴とムチ」で秘法となった工芸技術

さらに本格的なベネチアガラスの製 造は、11世紀に入ってから活発になりました。サン・マルコ大聖堂の再建においては、すべての壁面にガラスモザイクがほどこされています。ギルド(ガラス 職人組合)が結成され組織的に生産されるようになったのは、さらに200年ほど経った13世紀のことです。しかし1291年、共和国政府は、ガラス工場で 火事が起こったことから、木造建築物の多かったベネチア本島の火災防止を理由に職人たちと工場をムラーノ島へ強制的に移してしまいます。そして職人たちに は、島から出ることを禁じ、脱出する者には死罪を科しました。その引き代えに、産業の興隆に貢献した者には貴族の称号が与えられたとか。しかしこれは、ガ ラス製造の秘法を一切外部に漏らさないため、というのが本音の国SANMARCO.JPG - 19,703BYTES策で、いうなれば「飴とムチ」の政策でした。こうして、高い技術を囲い込むことで、他国との競争力を堅持し、ベネチアのガラス産業は次第に規模を拡大していったのです。

ベネチアとベネチアンガラスの盛衰

ベネチア共和国自体の最盛期は15世紀でしたが、1453年にオスマン・トルコがイスタンブールを陥落させたことによって、貿易産業は衰退し、政治力も 失ってしまいます。しかし、それでも文化の衰えはなく、ベネチアンガラス の最盛期は16世紀〜17世紀まで続きます。特に、乳白色のレースガラス(色ガラス棒を縞模様に埋め込むことをヴェトロ・ア・フィリ、色ガラス棒を網目状 に埋め込むことをヴェトロ・ア・レティチェッロ、レース棒を組み合わせてより繊細なレース模様をつくり出す方法をヴェトロ・ア・レトルティというそうで す。ヴェトロvetroはガラスの意)は、各国の王侯貴族の間で人気沸騰でした。ところが1789年にフランス革命が起こり王侯貴族などの特権階級は没落 し、市民階級が台頭。1797年にはナポレオンの侵入によって、ベネチア共和国は崩壊、その後はオーストリアとフランスによって2度ずつ、交互に統治され ます。1866年にはイタリア王国に併合。この頃からベネチアは衰退を余儀なくされます。

ベネチアとベネチアのガラスとビーズの歴史より抜粋

ベネチアガラスは、美術品としても高い評価があり、 高級インテリアや高級アクセサリーによく見かけられます。

 

“和装の日本女性の立ち姿”と“日本刀”の持つ、繊細で優美ながら、その内に秘めた、張りつめた鋭さを形にいたしました。
それを表現するために、首飾り本体は「純銀削り出し」にて製作しております。
また、一振り毎に“命銘”し、その銘を裏側に刻んでおります。
この世に一つだけという矜持、それをこの文字が示しているからであります。

凛は、命銘している以上、同じ銘はございません。
また、他の委託店舗、Web販売サイトとも被らないよう、

当飾屋しろがねWeb店舗でご注文頂ける銘は以下の通りとなっております(決定済みの銘のみ)

愛姫 月姫 清姫 菊姫 海姫

蝶姫 琴姫 夏姫 綾姫 海姫

ことのは

「ことのは」とは、「言の葉=言葉」の古い言い方です。

言葉というのは、非常に大きな力を持っています。
言霊(ことだま)とも言いうように、人間の発する一言、一つの単語にすら、
その人に、その周りの人に、ひいてはその人を包む世界にも影響するのです。

前向きな人が発する、前向きな言葉はそれを聞く人に力を与え、
心の捻くれた人が発する、汚く邪な言葉は憎しみや怒りを植えつけます。
ところが現代の日本では、残念なことに美しい言葉を話す人が少なくなっています。

ということを感じ、身に着ける飾り物を通じて、
そういう邪な力に負けない言葉を届けたいと考えました。

ならば、それは日本独自の文字で表現したらどうだろうと思いました。
そして漢字全体を流麗に崩して出来た平仮名こそ日本の美意識の表れであります。

美しく流れる文字に、力の湧く前向きな“ことのは”。
これこそ、飾屋しろがねが表現すべきものであると行き着いたのです。

色は墨汁を意識して鏡面に磨いて燻し仕上げとなっています。
シルバーアクセというのは使い込むと色が黒ずんで来るものですが、
これはその逆で、使い込むと文字と出っ張っているところが、
だんだんと銀本来の色に白く光ってくるのです。
その言葉に光が燈るように、という願いを込めています。

銘柄

あかがね三種


千代


舞う花




ことのは